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本堂
本堂は、寛永三年現在の吉田町西太田に創建され、其の後下沼新田開発に付、寛文七年に此れを解体して当地に移築したものです。以来度重なる水害風雪、特に明治十九年の大水害では、本堂に八尺余りの濁流が侵水し、其の被害は甚大であったがそれに耐え、補修修理を重ね昭和二十八年、茅葺屋根を千鳥破風銅板葺屋根に改修し、平成元年唐破風向拝を増築し現在に至りました。本堂構造体は、腐触白蟻等に最も強い「クサマキ」造りで、四百年以上の風雪に耐えて今尚、壇信徒の崇敬道場であることに先達の遺徳を偲びます。
本堂向拝
格天井
雲龍図檜木彫
内陣本尊 阿弥陀如来
本尊は須弥壇の中心に安置されている阿弥陀佛で、阿弥陀如来とも言う。真宗の隆盛に伴い、多くの信仰を集める佛である。浄土三部経は阿弥陀佛に対する信仰を中心に書かれている。
親鸞聖人
親鸞は本尊の向って右脇に安置されている。真宗の開祖である。この親鸞像は若き住職の兼一師が、こつこつと彫り上げた像である。
蓮如上人
本尊の向って左脇に安置されている。本願寺第八代法主である。蓮如は本願寺が真宗を代表する宗門に成長させた。
この蓮如像も若き兼一師が彫刻された作品である。
俳人盧元坊宗匠の碑
仙石廬元坊(1688〜1747)は美濃の出身で、俳聖松尾芭蕉十哲の一人、各務志考の門弟である。北陸地方を旅して「桃の首途」を、又西国を旅して「藤の首途」を著した。この「桃の首途」の途中、親交のあった雙林寺に滞在した。
盧元坊は十哲の一人、西行とも親交があり西行の庵の近くにあった京都円山公園の近くにも、同名の雙林寺があった。享保十二年(1727)春に来越の折り、当地に逗留され俳句を残された。その句は雙林寺で碑に刻まれ境内に鎮座されている。

寺の名や 蓮も都の 香に双(なら)び

この碑は雙林寺と盧元坊、西行、松尾芭蕉、各務志考との因縁を感じさせる碑であることは貴重な史跡であると思われる。
佛足跡
雙林寺本堂前向って右側に佛足跡という角張った珍しい記念石がある。お釈迦様の足跡を大きな角型の石の上面に表して庭土に埋め、上面は地面より三十cmほどの高さがある。脇に立て札がありお釈迦様の足跡の故事が、次のように書かれている。

今から三千年前にお釈迦様が涅槃に入られて五百年間はご佛像はなく佛足跡を崇拝していました。佛足跡は足形を拝むのではなくお釈迦様の歩まれた道を尋ね教えを問うことです。この佛足跡研究の権威早稲田大学名誉教授加藤淳氏が監修され、石刻は薬研彫の研究者森享二氏の手彫りです。詩碑の佛足跡の歌は加藤淳氏の詠歌三首です。
茶道会館 野村本茶寮
瓢箪池(睡蓮)
月終堂
日輪堂
地蔵橋 地蔵門
東屋 香村居
唯庵
茶室 松穏舎
珪化木
観月亭
如意輪堂
阿修羅堂
雙林寺前寺 胎蔵寺(廃寺)御本尊
流礼席 南山亭
上原七郎左衛門尉藤原正説公祠堂
開基 上原七郎左衛門尉藤原正説像
牡丹園入口 西行門
前庭
前庭 大賀蓮池
境内の池に咲く古代ハス。正門を入って右側に石で護岸をした池がある。六月の終わり頃から桃色のハスの花が咲きはじめ、七月の終わり頃まで多くの参詣の方々を楽しませる。このハスは植物学者の大賀一郎博士が、千葉市の遺跡の古い層から見つけた数千年前のハスのタネを、苦心の末に発芽させた。そのハスを約三十年前、釋兼一師が株を分けてもらい、雙林寺の池に植えて花が咲き競うようになった。例年、盛りの頃は約百本の花が咲き揃い、花見に来る人を楽しませている。
堪忍の石碑
雙林寺の第十代住職の上原忍精師は明治の初め、御堂で私塾を開いて向学 心に燃える子ども達を指導していた。 下沼新田の子どもだけでなく、近隣 の勉学熱心の子どもも通っていた。雙林寺の境内に「堪忍」と刻まれた古い石碑がある。下に刻まれた撰文は風化して読み難いが、上原忍精師のこ とば「堪忍袋の緒が切れそうになったら、切れないうちに念佛の糸で繕え」と刻んである。「堪忍」を第一義とする訓育を重んじたことから、門弟達が 師の遺訓を偲んで建てた報恩の碑である。と伝えられている。
中之島保育発祥之地碑
碑文
学童は農作業を手伝い、母親は幼児は見守れず、坊守は松葉幼稚園での幼児教育経験より、農村保育の必要性を強く感じ、昭和三十五年より、境内本堂を用い季節保育所を開設した。不屈の意思で県に働き掛け季節保育所は村立保育所となった。上原医院開設も助け、茶道石州流野村本派及び華道遠州古流雙林寺派家元として、流派の維持発展に尽力した。


十三世坊守
清明庵上原宗富
五世家元

俗名
上原トミ

保母資格第二七三号
昭和三年七月二十日生
令和二年七月二十二日没享年九十三歲

幼児を慈しみ艱難辛苦の末、成し遂げた偉業を顕彰する。
信條小學校発祥之地碑
記念の祝辞額が現存
昭和十年の信条小学校の五十周年記念式典に、創立当時の校長であった上原忍精先生を讃えた祝辞額が、雙林寺に現存している。祝辞を述べたのは、元朝鮮総督府専売局、技手判任官 松井藤次郎氏である。要旨は次のようになっている。
信条小学校の開校は、雙林寺前に二十坪内外の学校を建て、上原忍精師が初代校長となり教導され、社会の進歩のために尽くされた、とある。

上原家の方々が創立以来の信条小学校に勤務の先生方
上原忍精先生 明治8年2月~約10年間
上原兼明先生 明治10年代       
上原兼雄先生 明治42年9月~43年3月
上原静枝先生 昭和20年4月~23年3月
鐘楼
宝物殿 蓮如堂
親鸞聖人像
雙林寺本堂
墓苑入口  之要門
遠州古流雙林寺派土蔵ギャラリー
南山門
守門
御門跡様御手植
三条地震之詩碑
牡丹園
太子堂御殿
太子堂鞘の間
太子堂聖徳太子像
中庭
太子堂前庭
庫裡廊下
書院蹲踞
書院
法務籠
広間
善取門
前庭
庫裡
医薬門
央玄関
里紅堂
入沢達吉博士詩書
東京帝国大学教授、大正天皇侍医頭、医学博士入沢達吉先生来家の折、揮毫されたと言われている漢詩
境内前景
雙林寺共同墓苑

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